1.スケートのファッションシーンについて

本物に触れること、本物の空気を体感するということの重要性を語る上で欠かせない人物は、どのカルチャーのシーンに於いても必ず重宝されるべき存在。
その本物を体感し日本のスケートシーンを牽引し続けているのがまさに大滝氏である。ファッションについては専門分野ではないというが、氏らしい答えが返ってきた。

大瀧氏「スケートすること自体がファッションだよね。誤解してほしくないんだけど、ファッションのためのスケートじゃなくて、カッコいいことしたいからスケートボードを始めるという意味で。ファッションってそうだと思うよ。カッコよくなりたいから、良い洋服着たくなるでしょ?それが俺にとってはスケートボードだった。」

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佐藤「確かにそうですね。サーフィンもある意味そうですもんね。」

大瀧氏「そうだね。先輩がやってたとか、先輩が来てる洋服がカッコいいとか、入るきっかけは同じなんだよね。結局、東京で考えるとサーフィンのカルチャーには必ずファッションは付いてくるからね。」

佐藤「ファッションとカルチャーはやっぱり密接な関係性があるんですね。改めてそう思いました。」

大瀧氏「意外と僕の周りはサーフィンの先輩を見てスケートボードに行った人が結構多いかな。先にサーファーのファッションが流行って、スケーターのファッションは 少し後になってから流行って来たよね。今や市民権を得たというか。ひとつのカテゴリーとして大きくなっているよね。」

佐藤「90年代に流行ったというか、すごく広がった気がします。」

大瀧氏「ファッションについては、正直そこまで詳しくないんだけど結局のところ僕らは動きやすいとか、頑丈とかが重要でボロボロになっても気に入ったものは着ていたよね。何を着るかが重要じゃなくて、どんなスケートボードをするかが重要だと思うから。」

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佐藤「別のインタビューで、海外に行った方がいいという事を大瀧さんが言っていたのを読んだんですけど、海外に行くメリットはどんなところにありますかね?」

大瀧氏「当然、現場の空気は行ってみないと感じられないからね。それを感じて欲しいし、行くメリットというか、日本人の誇りみたいなものをどんどん海外に持って行って欲しいよね。」

佐藤「なるほどですね。今や日本のブランドも海外でも人気が高いですもんね。」

大瀧氏「タキシン(NEIGHBORHOOD)とか、テツ(W TAPS)とかは洋服作りが本当に繊細だと思う。俺がこんなこと言うとあれだけど、こだわり抜いている彼らの洋服だからこそ海外で人気が出るのはある種当たり前かなって思う。」

佐藤「ほんとそうだと思います。憧れや取り入れる事も重要ですけど、日本から発信したいですよね。ビリーズも東京から世界へ発信するというコンセプトでやっているので、かなり共感させて頂きました。」

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2.クリエイションする上でのこだわりや楽しみ

佐藤「多くのシーンやカルチャーを牽引されている大瀧さんですが、今の日本のスケートシーンに思う部分はありますか?」

大瀧氏「正直、今のスケートシーンは競技としてのコトになりつつあって面白くないなって感じてる。スピードとかセクションのデカさがどうとかも含め。」

佐藤「90年代と現代の大きな違いってどこにあると思いますか?」

大瀧氏「違いというと、90年代は80年代のマネをしてなかったよね。80年代もそうだけど、90年代はとにかくトリックが多く生まれた。今はそれのマネをみんながやっている状態。そういった意味ではスケートカルチャーは90年代に完成されちゃったって感じている。」

佐藤「なるほど、確かにそうかもしれませんね。」

大瀧氏「日本人って手先が器用でしょ?モノ作りに関しても世界的に評価が高いじゃない。足先も同じだと思っているから、もっと器用なトリックを武器に世界で戦えるんじゃないかなって強く感じるね。」

佐藤「得意なところを使えていない気がしますね。なかなか難しいとは思いますが。」

大瀧氏「スケートボードをやるコト自体がハードコアな事で、とても大変な事だと思う。特に俺はストリートで育ってきたからなおさら感じる。怒られて怒られて、それへの反骨精神でしかなかったからね。人に迷惑かけるのはダメな事だけど、ある程度そういう部分は重要じゃないかなって思うよ。」

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佐藤「ストリートはやっぱりカッコいいですよね。憧れの対象です。」

大瀧氏「そういった意味でも環境はとても大切。とにかく環境だよ、スケートボードは。」

佐藤「環境ですか?スケートパークとかという意味ですかね?」

大瀧氏「まさにそうで、スケートパークが少なすぎる。特に子供と滑れるところがもっと欲しいよね。俺は子供いないけど、一緒に滑れたら最高じゃん。それで、そういう所で子供が育って、ストリートに出ていって欲しい。そうする事で、層が厚くなってきて全体のレベルも上がるんじゃないかな。」

佐藤「ダンスは授業のカリキュラムに組み込まれてますもんね。スケートやサーフィンもならないかなって個人的には思っています。」

大瀧氏「少しずつ、やってているところはあるよね。仲間でも世田谷の小学校でスクールやっているヤツもいるし森田(FESN)も中野でやっているって聞いたよ。何ヶ月に1回くらいだった気がするけど。けど、スケートボードって俺たちは自発的に始めてきたじゃない。アメリカ見て憧れて、カッコいいことしたいって思って。それが、自分の意思じゃなくて大会に連れてかれてとか、親次第になってきちゃうのもちょっと寂しい気がするよね。さっきのスケートパークの話とは矛盾してしまうかもしれないけど、、」

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佐藤「憧れとか、カッコいい事とかとは違ってきちゃいますね。」

大瀧氏「大きな大会でメダル取った子が親に感謝しますってインタビューで言っているのを見て、いい事なんだけどそうじゃないよなーって思っちゃう自分もいるかな。当時はむしろスケートボードやってると親に怒られるから、親への反骨心みたいな感情があってさ。まぁ今の時代はそれがハマらないってのも解ってはいるけどね。だから俺は両軸というか、親子で滑れる環境をもっと作りたいし、カルチャー側というかストリートもどんどんやっていって欲しいしそっちの環境ももっと育てていきたいよね。」

環境づくりは誰しもが出来ることではなく、その重要性から担う責任感、人を巻き込めるカリスマ性と人望が必要不可欠。それを全て背負えるのは氏しかいないと言っても過言では無いだろう。それほどに実績も経験もある氏の言葉は重みと説得力が違った。

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3.スケートボートとスニーカーの関係性について

大瀧氏「Z-BOYSをはじめ、当時のヴェニスビーチのスケーターってみんなVANS履いてたよね。その頃は近所の靴屋にテニスシューズって書かれて売られていて、TONYALBAがインタビューで言ってたけど片足ダメになったら交換してくれたんでしょ。そこまでスケーターに寄り添ってくれたブランドって他で聞かないよね。」

佐藤「当時は確かデッキシューズみたいなイメージです。」

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大瀧氏「そうだね。そこから、彼らがVANSに言ったかどうかは分からないけどアッパーは補強されずに、このワッフルソールがスケートには最適でスケートシューズとして確立されていったよね。」

佐藤「そうですね。グリップがハマったんでしょうね。」

大瀧氏「そうそうそれが80年代で、90年代になってストリートに環境が移っていって、ゴンザレスとかナタスやバレル達がオーリーとかやって靴をボロボロにするようになって、対応できる靴が無いからバッシュ履いてスケートするようになった。ブランドもそれに対応するようにバッシュを元ネタにスケートシューズを開発しだしたよね。DC SHOES、AIR WALKとか。そうなるとフォルムがどんどんゴツくなっていったよね。」

佐藤「VANSもフェアレーンというゴツめな靴を出してましたね。」

大瀧氏「そうだね。好みは当然あるけど、俺はVANSのシンプルなこの感じが好きだけどね。」

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佐藤「DOG TOWNで働かれていた時はどんな感じでした?」

大滝氏「んー、どんな感じか。。映画で見たことあると思うけど人の家のプールは探してたね。」

佐藤「もちろん観たことあります!あれを実際にやっていたんですね!」

大瀧氏「仕事終わりに、みんなで行くんだよ。俺たちが行ってたのは映画で出てくるような綺麗なところばかりじゃなくて、汚いところが多かったかな。見つけては侵入して、軽く掃除して遊んでいたね。」

当時を体感した日本人はおそらく数少ない。というか、片手で事足りてしまうかもしれないほど何人いるんだろうという位だろう。そう考えると、氏の経験値は後世の者にとってとても重要なコトが容易に分かるエピソード。

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4.お気に入りのスニーカーは?

佐藤「今のお気に入りスニーカーはなんですか?」

大瀧氏「特に決めてはないんだけど、今は、VANSのOLD SKOOL PROかな。スケートボードをやる時に履くスニーカーという意味で。シンプルにすごくいいですね。」

佐藤「最近スケート熱が再燃したとお聞きしましたが、きっかけはありますか?」

大瀧氏「いいスケートパークに出会えたことかな。これ嘘じゃなくて、このOLD SKOOLに合うスケートパークを探してたんだよ。そしたら八王子のパークがぴったりハマって。」

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佐藤「ポイントはどこでした?」

大瀧氏「コンクリートで、スネークがあってプールがあって浅いところもあって基本アールがしかないパーク。昔からアメリカにはあった様なパークだから古臭いといえばそうなんだけど、今まで無かったから見つけた時は嬉しかったね。フライアウェイとオールドスクールに合うパークだと思っているよ。」

佐藤「よく行かれているってお聞きしました。」

大瀧氏「そうだね。今はスケシンくんとヨッピーとテツと行って、あのラインはどうだとか、次はこういうラインはどうとか、話して子供みたいに楽しんでる。未だに思い通りにならない時もあるからね。サーフィンに近いよね、ラインを行くっていう意味で。どこから入ってどこから抜けるとか、ひとつのターンをするのに入るところとか出るところをみんなで話して、遊んでいるよ。」

佐藤「ライン取りという意味で大滝さんが思う、スゴい方いますか?

大瀧氏「ヨッピーは上手だよ。ライディングに性格が出てるね。瞬間で考えたことをやっていくよね。それがズバ抜けてる。海外だと、いっぱいいるけど今注目しているのはロニーサンドバルっていう子かな、パークライダーでプロになったんだよね。それも珍しい。レジェンドという意味ではアーロンマーレーかな。ベニスで一緒に住んでた同い年のヤツで80年代のDOG TOWNのライダーだった。今は現役を退いているけど、スタイルはかなりカッコいい。今だに一押しのスケーターだね。」

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5.セレクトスニーカーについて

佐藤「ハーフキャブとの出会いはいつでしたか?」

大瀧氏「正直、当時はそんなに履いてなかったかな。また違うスニーカーを履いていたんだと思う。知ってけど横目で見てた感じかな。フルキャブはいつだっけ?」

佐藤「89年ですね。それからキャバレロが半分に切って生まれた靴ですね。」

大瀧氏「そうだね。ハーフキャブは冬にスケートするには最適なスニーカーなんだよね。寒さって足から来るから、このスウェードがいいんだよね。そして、少し丈も長いでしょ。それがいいんだよね。」

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佐藤「そのハーフキャブが25周年で、記念モデルを出しました。

大瀧氏「めちゃくちゃカッコいいじゃん。これスウェードも違うよね?」

佐藤「そうですね。ピグスウェードを使っています。」

大瀧氏「この紐も好きだね。」

佐藤「この紐僕も好きです!ブラックかグレーだとどっちの色が好みですか?」

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大瀧氏「グレーかな。俺、グレーのスニーカー好きなんだよね。あと、これ重要なポイントなんだけど、フォクシングラインとアッパーの色が合っていないと嫌なんだよね。絶対に嫌なんだよね。笑。」

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佐藤「確かに全部一緒ですね。一貫したこだわりですね。」

大瀧氏「無いと嫌なんだけど、あるならアッパーと一緒が絶対条件。作る時って変えたくなる気持ちもスゴくわかるんだけど、俺は一緒じゃないと嫌なんだよ。」

佐藤「グレーを選んでいただいた理由はなんですかね?」

大瀧氏「昔から日本にグレーのスニーカーってあんまり無いんだよね。海外で発売されていても日本には入ってこない。他の色に比べて売れないんだってね。だから、アメリカ行った時によく買っていたんだよ。だからかもしれない、あまり無いってのが大きいかも。」

言葉の一つ一つがどこか心地よくも重たく聞こえるのは、氏の背景のスゴさや背負っているコトの責任感や重要性だろうと強く感じた。

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Interviewer : BILLY'S ENT PR 佐藤
Photo : Akira Onozuka
Writer : Yusuke Kigawa (ALLTHUMBS inc.)