MURO DJ, Artist, Producer

ルーティーンに組み込まれたレコード屋でのディギング

一番楽しいことは、今も昔も変わらずレコード屋でのビートショッピングというMURO氏。この取材の前にも、近所である下北沢のdisk unionをチェックしてきたようだ。「disk unionは店舗があちこちにあって、品揃えの強いものがショップごとに違うのが面白いんです。一時期はまるで夢遊病みたいに起きるとどっかの店舗で掘ってて、自分でも大丈夫かなって心配になることもありましたよ」と苦笑する。レコード屋を訪れること、それは日常の一部、いや大部分なのだろう。渋谷、新宿、下北沢、御茶ノ水、北浦和、吉祥寺の店舗をメインに、なんと週6回の頻度で訪れるそうだ。アメリカ以外の国からDJプレイに呼ばれるようになってからは、総合ジャンルを取扱う店舗の他にも、ソウル・ブルース館、そしてワールドミュージックのレコードを豊富に取り扱っている店舗が集まる新宿を訪れることが多いそう。「1回の滞在時間は2時間くらいですかね。実は今、嫁がコレなもんで」と、大きくなったお腹を描くジェスチャーをMURO氏はして見せた。「レコード屋に行く時間も限られてきていますね。生まれたら多分ルーティーンも変わるんだろうなぁ……」と複雑な面持ちながら、もうすぐ我が子が生まれる喜びは溢れていた。そんな新たな環境から生まれる彼の世界観も実に楽しみである。

ビジネスとプライベートの垣根を超えたDJの喜び

最近のDJ活動は、東京にとどまらず地方や海外からのオファーも多く、世界各地を飛び回っているというMURO氏。そんな多忙な生活の中で贅沢な時間だと感じるのは「自分で発見した音楽を、好きなクラブで流しているとき」。仕事でもプライベートでも、彼にとって音楽がなくてはならない存在だということは、もはや言わずもがなかもしれない。「ここ数年、ありがたいことに海外のイベントに呼ばれることも多いんです。珍しいところと言えばイスラエル。滞在中に2回も空爆があって。そんな中でも僕はレコード屋にいたんですけどね(笑)」という驚きのエピソードも。

彼のスタイルを構成するレコードとスニーカー

自分の耳で選んで、買い集めてきたレコードはやはり一生モノ。しかし、自宅の引越しを機に売却したものも多いそう。8月2日に改めてオープンした渋谷の「HMV record shop」では、MURO氏のコレクションの一部が購入できるコーナーが設置されている。「店舗に納品する時、2tトラックをパンパンにして2往復したんです。枚数は分からないけど……まぁ、万はいくでしょうね。万のトン(笑)」。同様に、大切にしてきたスニーカーも100足近く手放したそうだ。その中でも、adidas Originalsの"SUPER STAR"は今も昔も変わらず彼にとって特別なモデル。1986年、NHKホールで催されたRUN DMCの来日公演をMURO氏は「音楽とファッションがクロスオーバーした瞬間」と表現した。「僕を含め、観客の8~9割が"SUPER STAR"を履いていました。しかも全員シューレースなし。ひとつの文化を目の当たりにし、ショックを受けましたよね」。MURO氏は、このライブでもう一つ衝撃的な体験をする。「前座で出ていたHoudiniっていうグループのDJが途中、脱いだ"SUPER STAR"でスクラッチを始めたんですよ。この靴はスクラッチもできるのかって驚きましたね。DJするにはコレじゃなきゃいけないんだ、って(笑)」。冗談交じりに思い出を語ってくれたが、その名作が彼に大きな影響を与えたことは間違いない。「履いてきたのは圧倒的に白が多いですね。やっぱりフランスメイドだな、とこだわったりしてはじめは結構なお金をかけていました。町田にあると聞いたら駆けつ付けたり、色んな古着屋さんを回ったり。今まで100足以上は買っていると思いますよ」と、思い入れが底なしに深いことうかがえる。「adidas OriginalsのConsortiumでコラボレーションをする際も、"SUPER STAR"に近い"PRO SHELL"でデザインさせてもらったんです。本国ドイツでのお披露目では、廃墟にスタン・スミスたちの肖像画が貼られた空間演出にこれが飾られていました」。

日本のHIP HOPシーンを共に築いた愛用の品

Krush PosseやMicrophone Pagerなどの活動を経て、20年以上に渡りHIP HOPシーンで共に成長してきたものに、「2台のターンテーブルとディスコミキサー」を挙げた。小さい頃から"人と同じ"ということが好きではなったというMURO氏。「小中学生のときって、adidasがまだ流行っていなくて、周りの子はOnitsuka Tigerやコーチという国産メーカーのシューズばかり履いていたんです。僕もお袋が買ってきたものを着たり履いたりしていたんですが、初めて自分で選んでclub adidasのフーディを買ったときのことは今でも覚えています。他に着ている人はいなかったし"自分で選んだ"という感覚が本当に気持ち良かった。それと同じで、周りで誰も持っていないターンテーブルとディスコミキサーを必死でバイトして貯めたお金で買ったときは、そりゃ嬉しかったですよ」。さすがに当時のものは壊れてしまい手元にないそうだが「今年Pioneerからリリースされたターンテーブルがもうすぐ届くんです。自宅とショップのものを買い換えようと思って」とMURO氏は目を輝かせる。これからの道を共に歩んでいく、心強い相棒となってくれるに違いない。

80年代を彷彿とさせるランニングシューズに注目

MUROさんが最近よく履いているというスニーカーはadidas OriginalsのZXシリーズ。昔はランニングシューズなんて大嫌いだったと笑いながら、「俺は一生バッシュだ、って思ってたんですけど……負けてました、いつの間にか。1回履くと、やっぱり楽なんですよ。信号が点滅する横断歩道で小走りする時とか、全然違いますよ(笑)」。今年大きな注目を浴びているZXシリーズは、履き心地の良さだけでなくちょっぴり変わった配色も魅力的なのだそう。そんな彼が今選ぶのは、同じadidas Originalsのランニングモデル"BOSTON SUPER"。コンフォートなランニングシューズのボディに、絶妙なカラーリングが載せられている。「1984年のボストンマラソン開催時にデビューした歴史あるモデルで、深みのあるインパクト大のカラーリングのレッド、スリーストライプスのゴールドのレザーのアクセントがレトロなフォルムとマッチして、ツボにハマりますね。コレを見ていると当時が蘇ってきて思わず手が伸びました」。

Profile

MURO

日本が世界に誇るKing Of Diggin'ことMURO。'80年代後半からKrush Posse、Microphone Pagerでの活動を経て、1999年にソロとしてメジャーデビュー。以来、MCとしてはもとより「世界一のレコードDigger」としてプロデューサーやDJとして活動の幅をアンダーグラウンドからメジャーまで、そしてワールドワイドに広げている。2011年にはセレクトショップ 「DIGOT」をオープン。