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BILLY'S Meet Tokyo Creator

江川芳文/Yoshifumi Egawa
Hombre Niñoディレクター/XLARGEデザイナー

しがらみや世間の窮屈さを嫌い、自由を是とするスケートボードキッズたち。年功序列の押し付けを嫌う彼らだが、こと江川さんと接するときは、その目には少なからず敬意や憧れが宿っている。50歳を目前にしてなお物腰やわらかくフランクで、今も少年のような無邪気さと好奇心を失わない、東京ストリートのキーパーソン。彼がその半生で残してきたものは数え切れないが、今回はかつて「HECTIC」でのコラボによりストリートの重要な関心事項となった「New Balance」との出会いや、自身のユース時代について振り返ってもらった。エクストリームカルチャーに魅せられたひとりの少年はどのようにして、みんなが気になる“YOPPIさん”となり、「New Balance」のスニーカーにどんな価値を見い出したのか。

インタビュー写真

言いたいことは言いたいし、カッコいい、
ダサいっていうのははっきりさせたい

ご存知の方も多いとは思いますが、改めて今のYOPPIさんの活動やご自身について簡単に聞かせていただけますか。

あ、はい。江川芳文です。年齢は49歳でO型で身長は……それはいいか(笑)。仕事は自分でディレクションをしている「Hombre Niño」、“男・子供”っていう意味の名前のブランドをひとつやってます。あとは「XLARGE」をもう5年以上かな? 在籍してデザインをやっていて、後はデッキのディストリビューションなんかをやってます。

「Hombre Niño」を始められたのは2012年だと思いますが、その頃何か心境の変化があったんですか?

そもそも2012年はまだ「HECTIC」をやってたんですよ。 それで、ブランドをワールドさんが買い取って、その後もデザインをしてたんですけど、初めてのことばかりでちょっと色々な温度差を感じていて。僕も同時期に子供が生まれたりして、あれ……なんてなってた時に、「HECTIC」をやりながら新しい自分のブランドとして「Hombre Niño」、を始めたんです。自分も年を取ってきてたから、子供に全部託せるようなブランドにしたいと思って、この名前にしたんですよね。“大人子供”っていう風によく雑誌では書かれてるんですけど、僕が子供から影響されたり、子供は大人から影響されたりっていう考え方でつけたんです。だから「HECTIC」とはコンセプトがちょっと違ったんですよね。

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「Hombre Niño」、2021年秋冬シーズンのルック。

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かつて手掛けた「HECTIC」や、自身が関わって制作されたアイテムの数々。

実際に今の江川さんの状況を見ているとその通りになってますよね。息子さんと一緒にスケートボードをしていたり。

そうですね。最初からそれを全部狙っていたというよりは、後付けも半分ぐらいあるんですけどね。そうなればいいな、ぐらいで。それが自分の息子じゃなくても、僕を好いてくれる若い子でもいいと思ってました。ただ、そこにはコミュニケーションとか、いろんな壁があって。以心伝心しなきゃいけないから、ずっと近くで僕を見ている自分の子供とが、一番それがしやすいのかなと思っていて。結果今のところ蛙の子は蛙という感じです(笑)。僕もファッションのことを子供に聞いたりしてます。今日も家を出る前に「このパンツでいいかな? この服にこの靴でいいかな?」とか、そういうやりとりをしたり。向こうも自分のことになるとわからないみたいなんですよね。僕もそうなんで、だからお互いにそれをやり合って。そういう関係になれてるのがすごく嬉しくて。

YOPPIさんが10代の時もスケートボードをやっていたりして、自然とそういう風になったりはしなかったんですか?

う〜ん。多分、今ほど情報が溢れてなかったから。今は大人も子供もヨーイ、ドン! で同じ情報を得られるでしょ? 昔は大人と子供とじゃ情報量が桁違いだったんで。今とはちょっと比べようがないですね。

そうやっていろんな人とそういうものが共有できるようになったことについて、単純にポジティブな感覚ですか?

基本はそうなんですけど、良い時と悪い時があって。僕のいけないところなんですが、好き嫌いが異常にはっきりしてるから、僕が好きか嫌いかが息子にも影響しちゃう。悪影響を及ぼすから悪口ひとつ、好き嫌いひとつもあんまり言うのはなぁ……って。本人がどう思うかを重要視するようにはしてるんですけど、正直者なんで出ちゃうんですよ。そこはいつも奥さんに怒られてます。「言い過ぎ!」、「やり過ぎ!」って。

でもそこは濁しちゃいけないことでもありますよね。

僕ももういい歳ですけど、言いたいことは言いたいし、カッコいい、ダサいっていうのははっきりさせたいっていう思いがあります。でも、今のご時世だと口にチャックをしないといけない部分もあるだろうし、本音をどこでどう感じてもらうかは、やっぱり以心伝心しないといけないですよね。ニュアンスでこう……念力で通じ合わないといけない時代じゃないですか、良くも悪くも。一見生きやすいようだけど、ちょっとやりにくいところもあるし。

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推して知るべし、みたいなことですよね。そういう意味でも今また当時の裏原時代を掘り下げてる若い世代が増えてる気がしますが、それは実感されますか?

感じるんですけど、知ってることの内容が僕とはまた違うなとも思います。「あ、そこなんだ」っていう。引っかかってる部分がひとつだけじゃなくて、全体に何が起こったかを知りたいんでしょうね。「GOOD ENOUGH」だったり「NEIGHBOR(HOOD)」だったり「Forty Percent(Against Rights)」だったりって、当時売れてた、人気があったブランドをみんなチェックしてるから。でも、それぞれのブランドで立ち位置が全部違うじゃないですか。だから、その辺を若い子に探られたりはしますね(笑)。

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当時は雑誌全盛の時代でしたけど、YOPPIさんや「HECTIC」の記事を毎号どこかで見かけていた気がします。 今またそういう古い雑誌を買いあさっている人も増えてるみたいです。

実際僕も「XLARGE」の子たちと国会図書館にたまに行くんですよ。ネタを探しに。全部アーカイブが残ってるじゃないですか? イメージ的なものを共有するには昔のファッションを見るのが一番いいから。でも自分で見るのが恥ずかしいぐらい僕がことごとく出てて、俺祭りみたいになっちゃうから、目的とかやりたいことと違くなっちゃうことも多いんですけど(笑)。

国会図書館で探されてるんですね(笑)。ご自身の手元には残していないんですか?

僕、自分のアーカイブをまったく残せなくて。「HEC(TIC)」が解散した時にはアーカイブをまとめたブックがあったんですけど、それもどっか行っちゃって。だから好きで溜めてた知り合いの子に借りたりとかしてます。

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YOPPIさんが誌面を飾った雑誌の数々。当時の東京のムードを今に残している。

(580を知ったのは)真柄さんがきっかけ。
でも、さらにその前に MUROくんが履いてたんです。

その当時のご自身の写真や発言なんかを改めて見て、どう感じますか?

なんか、楽しそうですよね。楽しそうで良かったなと思ってます(笑)。嫌々やってるのがあんまりなかったから。15、6歳ぐらいの頃、『FINE』のモデルとかやってた時期は嫌々やってたこともあって。だから「HEC(TIC)」やる前と後ではちょっと違うかもしれないです。

やっぱり「HECTIC」の時代は“やりたいことをやれてるな”っていう感覚だったんですね。

そうですね。 伝えたい事っていうのが伝えられて。22歳ぐらいで「HEC(TIC)」を始めてるんですけど、チャンスだと思ったんでしょうね、当時。言いたいことを拾ってくれて、それを残せるから。今、昔の本を見返していても何を言ってたか全然覚えてないんですけど(笑)、 読んでると「あぁ、確かに」ってなります。やっぱりそのためにやってたから。ちょっと面白いですよね。

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そう言えば、そもそもYOPPIさんが周りから“YOPPI”と呼ばれるようになったのはいつごろだったんですか?

たぶん15歳の時です。『FINE』でスケートツアーをやったんですよ。T-19のオリジナルメンバーの子とスケートパークを巡る取材を。で、そこに僕の師匠のアキ秋山さんという方がいたんですけど、当時はちょうどのりピー全盛期で、丸(半濁点)をつけたがる風潮があって。“○○ピー”みたいな。それで“ヨシフミ”が“ヨピプピ”になったんですよ。“江川ヨピプピことヨッピー”ってアキさんに勝手につけられてからそうなったんです。でもA4の雑誌のこんな小さい記事から始まってるし、ヨッピーかぁ……って思ってて(笑)。まあ、でも名前が覚えやすいっていうのは良かったですよね。

そんなエピソードがあったんですね(笑)。

元は“YOPPY”だったところに、女の子の(モデルの)YOPPYが出始めてややこしくなって、「(男の方)」とか「(女の方)」とかって書かれることが増えて、僕は“YOPPI”にしたんですよね。どっちでもいいんですけど(笑)、受け入れたというか、区分けするために。女性に「お先にどうぞ、僕“I”にするんで」って。でもNIGO®さんが「BAPE」で“YOPPY”と“YOPPI”で写真を撮ってくれたりとか、そういう粋な計らいをしてくれましたね。そういうのは当時からすごく感謝してました。

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その時の原宿での日常について、何かエピソードがあれば教えてください。

2回目に原宿に事務所を借りた時かな、4階が「NEIGHBORHOOD」 の事務所で5階が「HECTIC」だったんです。藤子不二雄がいたトキワ荘じゃないですけど、両方これからっていう時で、暇さえあれば4階に行ってソファーに座って喋ってたりしたのをよく覚えてます。楽しかったですね。今でこそ「NEIGHBOR(HOOD)」の事務所に行くのにアポ取ってますけど(笑)。よく滝沢さんとご飯食べたりしてるんですけど、その関係性は割と変わってなくて、今もそういう感じの付き合いをさせてもらってるのはすごく嬉しいです。スケシン(SK8THING)さんとか、TET(西山徹)くんとかもずっと当時から変わらない付き合いで。

素敵ですね。そう言えば「HECTIC」は元はセレクトショップだったんですよね?

そうですね。買い付けから始めました。で、買うものがなくなった……って言うと語弊があるんですけど、飽きちゃったと言うか。月に2回買い付けに行くあの地獄に。車のトランクをガタンガタンやりながら物を詰め込んで、同じものを何枚、「Ralph Lauren」とかをいっぱい買って、みたいな。ニューヨークの部屋とかがそうなんですけど、外国って扉が2枚あるじゃないですか? 買い付けの時に夜へべれけで帰ってくると、その2枚の扉とかが本当にしんどくて(笑)。それで最初に (「HECTIC」の前身となる)「PKG」 っていうブランドを始めて。

でも「HECTIC」の影響力の大きさはかなりのものでしたけど、中でも「New Balance」とのコラボは特別印象的でした。どういう経緯で実現したんですか?

一番最初に僕が認識したのは真柄(尚武)さんが、「580、どこかに売ってないかな……」って言っていたのがきっかけで。でも、よく考えたらさらにその前に MUROくんが580を履いてたんですよ。それを見た時に「なんだこの靴!? カッコいいな」と思ってて。僕、スニーカーは好きなんですけど品番とか覚えるのがすごく苦手で、覚える気もないんですよね。だから真柄さんの言う580とMUROくんの履いてる靴が一緒だっていうのに後から気づいて、「あぁ、これを探せっていうことだったのか!」って。それで、どこかで「上野のmita sneakersにその580が売れ残ってるよ」って聞いて、「これはチャンスだ!」と思って、「倉庫にあるヤツ、全部買うんで出してもらえますか?」って。それで、国内仕入れを初めてしました。「え⁉︎ YOPPI、これ全部原宿で売るの?」とかって言われて「はい」みたいな(笑)。

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(笑)。じゃあ最初はセレクト商材だったんですね。

そうですね。しかも初の国内仕入れでした(笑)。で、「YOPPIがすげぇいっぱい買っていったよ」っていう話が「New Balance」の人の耳に入ったみたいで「コラボしたらいいんじゃないの?」と声をかけてもらえて、「え⁉︎」って。当時は僕、コラボなんてやったこともなかったんで、「やります、やります!」みたいな。

時代的にはもう裏原でコラボとかっていうのは当たり前にあった時代だったんですか?

いや、そんなになかったんじゃないかな? この間ちょっと調べたら「New Balance」、「mita sneakers」との初めてのコラボ(MT580)の企画が始まったのが1999年で、売ったのが2000年なんですよね。元の580が発売したのはもっと何年か前で。だから、このコラボも元はMUROさんから影響されたんです。

MT580でのコラボは何回も行われていましたけど、ファーストモデルのカラーリングは3者で話し合われたんですか?

いや、元々あの2色で出てたんですよ。グリーンとベージュのやつと、茶色とベージュのやつが。ヌバックっぽい素材で。最初はそれをそのまま復刻しました。で、2回目ぐらいで茶色をレザーに変えたりしたくらい。「New Balance」ってグレーとか、みんなイメージするのが暗い感じのトーンだったじゃないですか? でもMT580はその配色がそれこそニューなバランスだなと思って。僕も、多分真柄さんもそこが面白かったんだと思います。あとワイズが広い・狭いで選べるっていうのもそれまでは知らなくて。僕が靴で重視するのはパッと見の色と、あとはイメージ。やっぱり「New Balance」であの2色っていうのは新しくてすごく良かったんです。

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「HECTIC」×「mita sneakers」×「New Balance」によるコラボレーションモデル、MT580のファーストカラーはこのふたつのカラーウェイだった。

終わった事は追わないようにしてます。
そうしないと次にいけないから。

YOPPIさんにとっての「New Balance」はカラフルなものなんですね。

色がある方が好きなんです。だから、全部合致したんですよね。あれ、一体誰がデザインしたんだろう? って気になるくらい。昔、国井くんとかにも聞いたんですけど分かんなくて。どっからあの色が出てきたのかとか、聞きたいじゃないですか? 結果、MT580が何年後かに話題になって、「FOOT ACTION」の広告にMT580が出て、「FROM ○○○HECTIC」みたいに書かれてた時にはちょっとドヤりましたね(笑)。向こうの、アメリカのカルチャーに影響された身なのであんなに嬉しいことはないですよ。 今また日本の人たちが色んな形で、「New Balance」とコラボしたりしてるのを見ると、以心伝心してるのかなって思います。

そのきっかけになったのが「HECTIC」でしたもんね。「mita sneakers」とのMT580のコラボは最終第何弾まで行ったんでしたっけ?

ちょっと覚えてないんですよね(苦笑)。ついこの間も何周年かのタイミングでMT580のデザインやらせてもらったんですけど……。あ、結構メルカリ見ると出てますよ(笑)。自分のアーカイブもメルカリで見れるからいい時代ですよね。

(笑)。やっぱりご自身の手元にはもう無いんですね。

もう持ってないです。終わった事は追わないようにしてるって言うか。今持ってるのは一番最後にやったMT580の、ソールがちょっと軽くなったやつだけ。例え持ってても、今履くかって言ったらまた別だし、当時にもう一生懸命履いてたから。そうしないと次にいけないって言うか。自分のアーカイブをオーガナイズしてくれるんだったらしてもらいたいですけど、自分の性格上あんまり得意じゃないんで。今だったらクリアのシューズボックスとかあるじゃないですか? 当時から同じのがあったらラッピングして真空パックしてって、どんどんやってたんでしょうけどね。

YOPPIさんの「New Balance」の原体験は580だったんですか?

いや、思い返すと15歳の時にバスケ部用に買ったシューズが最初の「New Balance」でした。あとは、レザーのが流行ったじゃないですか? (藤原)ヒロシさんが履いてたやつ。あれは何番だろう? あ、576か。あれはヒロシさんの影響でちょっと背伸びして白とかを履きましたけどね。そう言えば、「New Balance」の N マークを1回取ったことがあるんですよ。

え、ご自身でですか?

はい。カスタム好きだったんで、いろんなブランドのスニーカーでそういうことをやりがちだったんですけど、「New Balance」だけは取っちゃだめでしたね。取っても格好良くならないんですよ。やっぱりこれがないとダメなんだなって思いました。Air Force1の「Nike」のスウッシュとか、「adidas」の3ストライプとかは取ってもうまくいったりするんですけど、「New Balance」だけはダメでした(笑)。

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今回のBILLY’Sのエクスクルーシブモデルは574ですが、この型も履かれていましたか?

履いてましたよ。574は片っ端から色を探してた時期がありましたね。バーガンディとか、変な色がいっぱいあって、一時期アホみたいに買ってたと思います。2002年とか、2004年とかくらいかな。なんであんなに履いてたんだろう? そもそも「New Balance」づいてたところもあるけど、やっぱり色がいっぱいあったからですかね。そこのお店でしか買えない、“「FOOT ACTION」別注”とか“「FOOTLOCKER」別注“とか、後はフルトンモールとか、そういうところに行かないとない色とか。多分、別注しやすかったんじゃないんですかね? 数撃ちゃ当たるで、色がいっぱいあって。僕にはそう見えました。だから、みんなユニフォームのようにもなるし、面白かったんだと思います。574に限らずですけど、こういう同じ品番ってずっと作ってると謎のベルクロバージョンとかが出たりするじゃないですか? そういうのをやってないのもいいですよね。でも派生形の5740とかも大好きです。

実際に今回のBILLY’Sエクスクルーシブのモデルの現物を見た感想はいかがでしたか?

事前に見せてもらってた写真より現物の方がいいですね(笑)。アウトドアっぽいのかな? タグに“TOKYO”って入ってるのが最高ですよね。 僕も MT580の時、付属品をいっぱい作ってました。合わせる服は黒はやめようとだけ思って、今日のパンツにしようかデニムにしようか迷ったんですけど、息子に「どっちがいい?」って聞いたら「コッチ!」って言うんでこれにしました(笑)。なんか、昔574を履いてた時は、ダブダブのデニムを合わせてた気がするんだよなぁ。

「HECTIC」のスラブデニムとかも太かったですよね。懐かしいです。

そうそう、その時代ですよね。この間、それこそ「Diaspora(Skateboards)」の周年の時にコラボをしたときも、彼らに「スラブデニムがいいです!」って言われてそれでやりましたね。

やっぱりYOPPIさんは昔から太めのパンツのイメージが強いですよね。

でも僕、2012年に1回パンツのシルエットが崩壊してて。「Hombre Niño」を始めたばかりの頃、お店が無いからセレクトショップに「Hombre Niño」を買ってもらわなきゃいけない時代、みんなすごくタイトになった時期があったじゃないですか? これでもかっていうぐらいパンツもスリムで。でも僕はずっと太いパンツを穿いてて、ストレートとかも好きだったんですけど、そういうイナタさが時代に合ってなくて。それで、タイトなデニムなんて履いたことがないけど買ってもらえるパンツを作らないといけないからって、ファストファッションの細いデニムを穿いてみたりしたんです。でも、結局気持ち悪くて……っていう風に、一回だけファッション業界に振り回されたことがあるんです(笑)。

それはだいぶ意外ですね。見てみたい気もしますが(笑)。

もともとは自分のお店があったからやりたい放題やってましたけど、 買ってもらわなきゃいけないってなるとこうなるんだって。そこから崩壊しながら結局自分らしい太めのパンツの形に戻っていったら、みんなが「今はワイドデニムですよね!」とかって今度は言うようになって。あっち行ったりこっち行ったりですよね。だから、今はもうあんまり気にしないです。実直に自分らしくやってます。

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ちなみにYOPPIさんは「New Balance」の生産国とかって気にされますか?

まったく気にしないです。全然。どこでも大丈夫です。もう、色と形だけですね。「New Balance」に限らず、どこ産だとか、どうでも良いんです(笑)。“○○○メイド”とかって気にするのはこだわりの部分だと思うけど、僕はスケーターだったから、何でも受け入れられて格好良ければいいっていう推しでいました。そういうことを言い出すと、結局面白くなくなっちゃうかなっていう見方でそうなっただけなんですけど。自由じゃないといけないっていうか、居心地が良くあってほしいとは思います。良くも悪くも、日本のコレクター気質ってすごく閉鎖的じゃないですか。今でもスニーカーのコレクターって買い方が閉鎖的でしょ。それは 僕の考え方とは違うから。履く靴と売る靴が別になっちゃったっていう意味では、時代が変わっちゃいましたよね。

YOPPIさんが履く靴を選ぶ時に話題性とか、付加価値みたいなのは……

全然関係ないです。完全に天邪鬼っていうか。ちょうどみんなが履き終わった頃にドヤ顔で履くぐらいの方が良いなって。それを狙うことすら今はしなくなりましたけどね。自分が関わって作るものについては、本当は見たことある物と見たことない物、半分半分ぐらいがいいんです。で、「何これ?」と、「カッコいい」がちょうど半々ぐらい、「好き」と「嫌い」も半々ぐらいが。

過去を知ってる人も知らなかった人も、どちらも違った楽しみ方ができますもんね。

そうなんです。でも、実際はみんなが見たことなさすぎて、判別のつかないものを作っちゃってるっぽくて(笑)、不思議な感じにはなるんですけど。でも、例えばそれの元の流れを知ってる人と知らない人、どっちが正解かとかっていう風に向けてはいないから。ただ、まだ世に出てない物を作れるチャンスがあるからやってるんです。





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