子供の頃から憧れ、ずっと通い続けているというピンクドラゴン。
今でも行くときには心が熱くなるという。
そして、ご自身の愛情がたくさん詰まったBOUNTY HUNTER TOKYO。
伝説の多くはここからが始まりであろう。
意外ながらも、筋が通っている自宅。
日々様々な事と対峙し打ち返している氏の一番心安らげる場所であり、
何気に一番好きな場所であるという。
![インタビュー写真1](/s_assets/img/usr/freepage/btm/bmtc_detail/vol16/photo1.jpg)
![インタビュー写真2](/s_assets/img/usr/freepage/btm/bmtc_detail/vol16/photo2.jpg)
世界各国のカルチャーを知り尽くし、
実際に目で見て手で触れてきた氏の思う、東京が誇れる事が気になる。
尋ねた瞬間に即答してくれた。
「日本にあるという事だと思います。
あまりにも東京が前に出てしまっている節がありますが、
その東京もやっぱり日本にあるから東京として成り立ってるんだと思います。
やっぱり僕たち日本人だし。
昔はロンドンでパンクスでしょ!とか強い思いはありましたけど、
それもやっぱり僕が日本人で日本にベースがあるから思っていた事で。
特に当時は今のように物や情報は無かったですしね。
海外への憧れや理想みたいなのが膨れるほどありました。
実際に何度もいろいろな国へ足を運んでカルチャーに触れたり、
新しいものをみたり散々しましたけど、結局日本が一番好きですね。
今は何でもありますしね。
というか恐らく世界レベルでもかなり物が集まってる
国だし都市だと思います、東京は。」
様々な国のいろいろなカルチャーに触れてきている
氏ならではの感覚と今のところの正解の結論だなと感じた。
さらにこう続けてくれた。
「東京にも多くのカルチャーがありますよね。
大きい小さいはもちろんありますけど、こういうのも変ですけど東京で、
ある程度はまかなえちゃいそうなくらい最近ではたくさん
物もカルチャーもあって楽しいです。」
![インタビュー写真3](/s_assets/img/usr/freepage/btm/bmtc_detail/vol16/photo3.jpg)
今年で20周年を迎えたBOUNTY HUNTER
20年間常にクリエイティブを生み出し続けてきた氏のこだわるポイントとは
「映画を観たりももちろんしますし、好きですけどそこから
何かインスパイアされるということは正直ほとんど無いです。笑。
やっぱり僕は音楽からもらうインスピレーションが多いですね。
原点といえば原点でもありますし。」
他には何も無いといっても過言では無いほどに音楽への愛情と情熱を感じた。
そしてさらに、
「何かひとつに愛情や情熱を持って突き詰めている人と話すのが大好きですね。
知識も愛情も半端じゃないので、そのような人と話をしてる時に
何かを得ている気がします。
何かを突き詰めている人って凄く魅力的だし、凄く話してて面白い。
いろいろ勉強させてくれるんですよ。
想いが違うというか、かなりそそられますね。」
逢うべくして巡り会う。まさにこの言葉がハマる人との交流をされている。
20年間ブランドを続ける原動力というか、氏の今を形成する上で
重要なエピソードを聞かせてくれた。
![インタビュー写真4](/s_assets/img/usr/freepage/btm/bmtc_detail/vol16/photo4.jpg)
「母親が佐世保の米軍基地で働いていたので
すぐ近くにアメリカがあったんですよ。
基地内のスーパーマーケットで並んでいる缶詰や
お菓子のパッケージがすごく好きでした。
色とりどりなものだったり、みたことないめちゃくちゃカッコイイ
パッケージだらけで、たまらなかったですね。
そして、見たことのないお菓子を基地内でもらって、
周りの友達は持っていないお菓子なので自慢げに食べていましたね。
そういう人が持っていないものや人と違うものが好きというのは
その時に出来上がったかもしれませんね。笑。
それでだんだん大人になって、パンクが好きになっていったんですけど、
当時まだ地元にはそのカルチャーがなくて、洋服とかも全然売ってなかったんですよ。
なので東京で通信販売して、地元でこれ知ってる?とか言いながら着ていましたね。
今ではかなり便利になってしまって、
なんでも動かずに手に入るじゃないですか。
でも僕はその場に行って、しっかりと感じて、ウワァって思いながら
買いたいたちですね。
特に最近はピンバッジに異様にハマってて、
ネットでも色々買えるんですけど、やっぱりお店に行って気持ちを
持っていかれるくらいアァって思ったものを買っています。
最近また古着屋さんとかよく足を運んでいますよ。
周りや他に無いものには、かなり燃えますね。
見つけた瞬間も最高です。
そして、愛の強いものにはやっぱりヤられますね。」
![インタビュー写真5](/s_assets/img/usr/freepage/btm/bmtc_detail/vol16/photo5.jpg)
信念を曲げずに、常に原宿の最前線を走り続けてきた
生ける伝説といっても過言ではない氏の生み出すクリエイションは
今も変わらず多くの人を魅了している。
どんな楽しさがあるのだろう。
「自分が着たいもの、自分が欲しいオモチャを作って、
みんなに共感してもらうことかな。
それって本当に最高なことだし、ありがたいと思っています。」
シンプルながらもとても力強いお言葉ですぐに納得できた。
![インタビュー写真6](/s_assets/img/usr/freepage/btm/bmtc_detail/vol16/photo6.jpg)
![インタビュー写真7](/s_assets/img/usr/freepage/btm/bmtc_detail/vol16/photo7.jpg)
「前にも言った通りで、他の人と同じものが嫌いな性格なんですよ、僕。
革ジャンを着ている人がいなくて好きで着てても、
周りがたくさん着だしたら僕は脱ぐし、割となんでもそうですね。
最高の天邪鬼なんです。笑。
最近はお店を始めた頃のように短パンもよく履いてるし、
スニーカーもめちゃくちゃ履いてます。
2年前ぐらいからすごい買ってます。
色んな事をやってきたけど、
やっぱり他の人とは違う方向に行きたがるから、僕は。」
「当時のきっかけとしては、89年にエクセルという
ハードコアバンドが出した2ndアルバムで、
ベースのショーンという人がグレーのキャンパスを
めちゃくちゃ大きいサイズ感で履いているのを見て、それにやられました。
そこからビースティボーイズが履いて、かなり爆発しましたよね。
でも結局あれ、同じところで買ってたんですよ、みんな。
当時、ロスのX-LARGEの裏にあったお店に結構残ってたらしくて。」
きっかけもまさに裏切りなしのエピソードで圧倒された。
![インタビュー写真8](/s_assets/img/usr/freepage/btm/bmtc_detail/vol16/photo8.jpg)
「シンプルで不滅的なところが好きですね。
僕も3回ぐらい買い換えました。
けど、みんなが履きだしちゃうと僕は脱ぐんですけどね。
天邪鬼だから。笑」
![インタビュー写真9](/s_assets/img/usr/freepage/btm/bmtc_detail/vol16/photo9.jpg)
Photo : Tsukasa Isono
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