Favorite of TOKYO

ファッションや場所、様々なモノやコトが溢れている東京。
いくつか挙げて頂けたが、聞けば聞くほどその根源はご自身の周りにいる方達からの発信である事に気付き、
あえて友人という1つに絞った。

「まだ僕が別の雑誌の仕事をしている時、確か23,4だと思うんですが……、
LAに滅茶苦茶カッコいい日本人たちがいるって噂を聞きまして。
どうしても会いに行きたいなと! そこで早速、当時上司の編集長に掛け合ったのですが、
“それだけではLAに行かせられない”と言われてしまったので、
1人で作っていた“シルバーの別冊の方で行かせて下さい”と懇願し、
何とか行かせていただきました。
それがテンダーロインクルーたちとの出会い。シルバー=LAという図式の中で、
彼らはたかだが1ページ程度だったんですが……
西君たちに会った瞬間にやられた(笑)といいますか。
今でこそ、少し変わりましたが、当時はまだ危険なLAという街で、
“現地の奴らに負けられない”ってことで、みんな体も半端なかったし相当突っ張ってた。
こんな本気なストリート育ちの日本人たちが海外にいるんだっていう衝撃を受けましたね。
ボルネオスカルリングはその時からありました。
あのモチーフは西君たちのディレクションに加え、
天才カーバーがいたからこそ完成した珠玉の逸品。
今では完全に定番ですよね。UNIONも当時はすごくカッコよくて。
そこに彼らのTシャツが確か数枚だけ置いてあった。
もちろん、即買いしましたよ(笑)。」

インタビュー写真1
インタビュー写真2

冒頭から、かなり貴重で震える様な話を聞かせてくれた守谷氏。
さらにこう続けてくれた。

「尊敬している人が2人いて、親父と西君。親父からは仕事人としての男の生き様を。
西君からはプライベートはもちろん、雑誌のことでも事ある毎に相談をしてきました。
SENSEの方向性に悩んだ時、HEARTの創刊や合併の時、などいつも相談し、
都度アドバイスをもらってきた。だからこそ、西君あってのSENSEがあると言っても言い過ぎじゃないですよ。
こんな男になりたい! って思って彼に着いて行って早20年(苦笑)。
とにかく彼の仕事への姿勢や考え方が素晴らしいんです。
アメリカ人が欲しいと思う様な、本物のアメカジを作りたいって始めて。
今では、欲しければ日本に来いって姿勢ですからね。
ブランドコンセプトにも近いオルタネイティブとはまさにこの事といいますか。
創刊時から唯一掲載し続けているブランドの一つがテンダーロインというのも、
本当に西君との縁があってこそですね。」

他にも色々な方とのお話しを聞かせてくれたが、特に繋がりの深い西さんとのお話しが強く印象に残った。
次の質問と重複してしまうかもしれないが、まさに世界にも引けを取らずに、
胸を張って世界に誇れる方達がいるのも東京の魅力に繋がっているのだなと思った。

東京が世界に誇れることとは?

今や世界的に注目を集める東京ブランド。
氏もそのど真ん中にいた。

「創業者兼デザイナーの存在が大きいです。
みんな会社を愛し、信念を持って洋服を本気で作っています。
西君はもちろんのこと、宮下君[TAKAHIROMIYASHITATheSoloIst.]とか
本間君[mastermindjapan]、中村君[visvim]、熊谷さん[KAZUYUKIKUMAGAI]等々、
世界で通用する東京出身デザイナーたちが東京の誇りだと思う。
彼らの素材選びなどのこだわりとか半端じゃないしね。世界からの評価もすごい高いし。」
「本間君もそうだけど、年上だけど親友。
そのトップが西君で、その彼らがSENSEや僕を支えてくれている。
このVANSも彼らしいこだわりがいっぱい詰まっていて、正直感動しました。
とはいえ、基本はみんなただの飲み仲間だけどね(笑)。」

インタビュー写真3

世界から高評価を得ている、東京の錚々たる方達との交友関係が垣間見えた。
もうひとつ、誇れることがあるという。

「“日本の美”ですね。天明屋君という現代美術家がいるんですが、
僕は彼の描く絵がすごく好きです。出会ったきっかけは、
20代の頃に展覧会のハガキを頂き覗きに行ったのがきっかけ。
武闘派絵師を名乗っていただけあって、その男らしい絵に一瞬で魅了されてしまい、
そこから仲良くなった感じです。出会った当初は、
まだ確かグラフィックデザイナーもやられていたと思うんですが、
“将来は現代美術家になりたいんです”っていう話を代々木の喫茶店で聞きましてね。
こんなに熱い人がアート界にもいるんだなと。今でもSENSEで毎号連載しているのは、
常に新しいアートを紹介するファッション誌って無いでしょ?
その当時買わせてもらった絵は、今では相当の価値があるはず。
もう二度と買えないかもね(笑)。」
「他にも盆栽だったりとか陶芸だったりとかも好きです。
創刊号も“日本の美”という特集で、日本を代表する盆栽や庭の特集をやっていました。
若いって怖いっていうか、ファッション誌なのに、カルチャーしかほぼなかった。
売れるワケないですよね(笑)。でも、40を越えて不思議ですが、
結局そこに戻ってきてると感じています。」

出会いのきっかけは様々で職種も異なるが、惚れ込む理由は
シンプルに本質的な筋が通っているか、本気でやり込んでいるかという部分だなと感じた。
そして、世界に誇れる人たちはその筋で本物の方達ばかりだと当たり前の事を再度認識させてもらった気がした。

インタビュー写真4

クリエイションする上でのこだわるポイント

東京のストリートとモードの垣根を取り払い、
同列で並べるというメンズのファッション雑誌では唯一と言っても過言ではない偉業を成し遂げたSENSE。
強いこだわりを持ったうえでの事だと勝手に思っていたが、その答えはある意味意外なものだった。

「プライドを持たないってことと、知らないことは知らないって言うこと。
すべては読者とクライアントが喜んでいただくために、仕事をしているので、
僕らに変なプライドは必要ない。ただ、作る時のこだわりという意味で、
強いて言うならば、二番煎じは絶対やらない、という事ですかね。
そこに市場があろうとも、他社の企画を真似てやろうということは100%しないですね。
僕らのような中小こそ大手にできないことをやる。端的に言えば大手の間逆をやらないと駄目ですよね。」

さらにこう続けてくれた。

「でも、気持ちのところで、自分の中の仕事人としての誇り、
というか捨てちゃいけない部分というのは、かなり大切にしてます。」

そういった氏の揺るがないスタンスが、数あるメンズファッション誌の中で、
その存在感や世界観は他の類を見ないほど際立ち、
多くの男性読者を魅了し続けている大きな理由なのだなと思った。

インタビュー写真5

クリエイションするコトの楽しさや楽しみ

「質問の返答にあってるかわからなくて申し訳ないけど、最近は欲がなくなりました、
自分自身の。欲しいものもほとんど無いですし。
強いて言えば、ミニマルで長く使えるものが好きですね(笑)。」
「今の会社のメンバーが最高だと思っているので、社員が喜ぶ事が僕の楽しみや喜び。
雑誌作りでも相談を受ければ、ある程度好きなようにやらせているし、
とにかく彼らが喜んで仕事が出来る環境作りが楽しい。
昔は滅茶苦茶怒ったりしていましたけど、怒っても人は変わらないって、
ある友人に気づかされて以降、怒るのをやめました。
どっちにも良くないんですよね、結局。」
「ちょっと話は逸れるけど、今の35,6歳の人くらいまでがいわゆる縦社会に生きているんじゃないかな。
僕らも当然そうだけど、先輩方から色々と教わっていますし、
40歳過ぎたても未だに弁当運んでます(笑)。
けど、それは凄く大切なことだと思っています。」

取材当日、立ち会ってくれていた社員の方を久しぶりに怒ってしまったという氏。
インタビューの最中に、今日は怒ってゴメンな。って突然謝っていた。
そんな器の大きさにとても感動した。

インタビュー写真6
インタビュー写真7

BILLY’Sでこのシューズを選ばれたのはなぜですか?

「ゴメンなさい、正直VANSはあまり詳しくないんですけど(苦笑)。」

と前置きしつつ、真っ直ぐに語ってくれた。

「この色の感じが僕にはモードに見えたんですよ。
サンローランとかディオールの細身のデニムに合わせたいかなと。
SENSEのテーマカラーである黒のコーデに挿して履きたいですね。
全部同じスウェードではなく、切り替えで素材感を上手く組み合わせたところは、すごくハイセンスに映ります。
決してゆるい感じのコーディネートではなく、敢えてカチッとした時に合わせたいですね。」

知らないことは知らないと本当に言ってくれ、
純粋に数あるスニーカーの中からセレクトされたこのアイテム。
膨大な数のアパレルや靴を見てきた氏がセレクトした理由、
思い浮かべている履き方に、とても興味が唆られた。

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インタビュー写真9

Photo : Yozo Yoshino

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