カート

BILLY'S Meet Tokyo Creator

Favorite of TOKYO

世田谷区等々力
「自分が住んでいるということもあり、やっぱり愛着はありますね。
住宅街でありながら、緑が豊かな場所なので自転車なんかで走ってても気持ちが良いですね。
意外に果物も有名で特に世田谷の葡萄は今人気が高いですね。
40年ほど前からこの辺りに住んでいるんですが、
当時は等々力渓谷の中で滝に打たれて修行している方もいましたよ。」

渋谷
「子供の頃に、時々親父に連れて行ってもらってましたね。
当時からオシャレな印象が強かったですね。
70年代は渋谷の西武が流行の発信地となっていて、
ロンドンにあるBIBAという化粧品のお店とか、
まだ日本に入ってきていないお店やブランドが集約されていましたね。
西武劇場なんかも良く行きましたよ。
ヘアーというロックミュージカルとか内田裕也さんがやられている、
ワールドロックフェスティバルにも遊びに行きましたね。
色んなバンドのライブも良く行きましたね、
よく覚えているのが友達だったというのもあるのですが、
PLASTICSとB-52sが一緒にやったライブですね。」

インタビュー写真1

新宿
「原宿も好きですけど、
やっぱりロンドンナイトというイベントを長くやっていた新宿は思い入れが強いですね。
当初、西麻布のTommy’s Barでやらせてもらっていて、
お話を頂き新宿のツバキハウスという場所でロンドンナイトを始めたんですよ。
いわゆるディスコという場所だったので最初は不安だったのですが、
縁もあったので勢いで始めてしまいました。
初めの頃はディスコでのロックは違和感が大きく全然お客さんが踊ってくれないんですよ。
ただやり続けていく中でお店ももちろん色んな人のご協力を頂き、
徐々にお客さんも増えてきてしっかり踊って楽しんでくれる空間が作れましたね。
ちょうどロンドンブームがきてた流れもあると思いますが。
87年にお店を畳むまでやらせてもらっていました。
そこからは色々な場所を転々として、
おかげさまで今でも続ける事が出来てとても嬉しいですね。
今では年2回、8月は新宿 LOFT、冬12月はリキッドルームで開催します。
近年は地方でも当時東京で遊んでいた方たちが呼んでくださったりしてくれています。
イメージとしては、60〜70年代の頃、
渋谷はオシャレな感じで新宿はカルチャーやロックを感じる街ですね。
グループサウンズのバンドを聴きにジャズ喫茶にも良く行きました。
知らない曲を聴くと、すぐバンドの人に曲名を聞きに行って、教えてもらったり。
海外のロックの情報源でしたね。
輸入盤のレコードなども多くありましたね。
情報の少ない中で、聞くと大体新宿で売ってるって話になるんですよ。
レコード屋さんももちろんですけど、家電屋さんでもレコード売ってましたね、輸入盤を。」

東京が世界に誇れることとは?

インタビュー写真2

「バンドでも、オリジナルから単なるコピーではなく自分たちなりに編集して
例えばジャパニーズロックという独自のものを作ってしまう。
その能力の高さはとても身近に感じます。
アニメの世界でもそうだと思います。
アメコミとはやはり全く違う手法での展開がありますよね。
伝統工芸とかは別の話として、海外のものをリメイク、リモデルしてしまう順応性の高さも素晴らしいですよね、毛嫌いせずに多くの情報を仕入れて自分たちの中で取捨選択して、
時には組み合わせたりしてオリジナルなものを作り込んでいく技術は時に驚きますね。
まさに原宿という街もそうだと思うんですよ。
独自のカルチャーを生み出しましたよね。
これは聞いたり調べた話なんですけど、今の代々木公園は昔米軍の住宅地だったらしいんですよ。
そのせいか今でもあるコーポオリンピアとか少しハイカラな建物やお店が当時から多かったみたいですね。テーラーなんかも多くありましたから。
そこから考えると、当時アメリカンカルチャーが色濃くあった街を独自なスタイルで
ここまで作り上げてしまったのは驚異ですよ。
僕が多摩の方の出身なので、原宿なんか都会ですよ。
当時雑誌で原宿が特集されていて、
原宿族とか六本木族というカッコイイ大人の集まりがあったんですよ。
それに憧れて、昼間に原宿に出張って行ったのですが、
今思えば基本カッコイイ人が集まるのは夜ですよね。
なので当然誰もいなかったし、ほとんど何もなかったですね。苦笑。
ぶらぶら歩いて気づいたら六本木まで行ってしまって、
ここが六本木かということで密かに嬉しかったですね。
カミナリ族追放っていう垂れ幕が歩道橋にあって、
ここカミナリ族出るんだって妙に興奮しましたね。笑。
その後、ムッシュさんのお店でTシャツ買って、アマンドでお茶して帰りましたけどね。笑
そして、「こんな話でよければ、もっとたくさんあるよ。笑」と、思い出がかなりたくさん詰まっているという。」

日本のロック界の真ん中にいながらしっかりと周囲が見えていて、そんな氏だからこそ肌で感じるものは多くあるのだろうと思った。続けて、当時の話を語ってくれた。

クリエイションする上でのこだわるポイント

インタビュー写真3
インタビュー写真4

今もなお、伝説的なイベントとして君臨しているロンドンナイト。
作り上げるという言葉で括ってしまって良いのかと思うほど偲ばれるが、
氏のこだわりという貴重なお話を聞かせてくれた。

「The Clashのツアーに同行した時に見たSE替わりのバリー・マイヤースという
DJのスタイルがカッコよくて、これを日本でやりたいなと思ってイベントを始めました。
元々音楽やロックというものを伝える媒体や手法としてはライブだったり、
僕は原稿を通じてか、ラジオで話して伝えるというのが日本では主流でした。
そうではなく、そこにいる人たちに直に音を聴かせるというやり方が僕にとってとても新鮮でした。
細かいですが、思うにはDJをするという行為それ自体ではなく、
DJを通じて音を聴いてもらうということが優先しますね。
自分が良いと思った曲や好きな曲を現場でかける、
その中で常に意識しているのは自分なりのスタイルで行う。
というのは、もちろん音楽の種類や曲もそうですし、一緒にやる仲間の事、
イベントの企画の事も自分なりのものをやりたいなと思っています。
ロンドンナイトの他にGroovy Rock Caravanというイベントをやっているのですが、
そこではパンクロックではなくクラシックロックを多めに選曲しますね。
基本的に他のDJの人の選曲に関してはその人のやりたいようにやってもらっています。
自分が選んだDJなんだから、自信も信頼もありますからね。
なので、人選にはとても気を使っています。
そして最終的には音で空間を満たし、そこで何を感じ、
何をするかはお客さん任せですが、ロックで踊ってもらう。
という事を軸に作っていきます。」

強い信念と揺るがない自信に加え、仲間へのリスペクトや深い信頼。
伝説的なイベントを今でも続けているには、氏の人柄はもちろん、
そういった想いや思考の強さが背景にあるという事を再認識した。

クリエイションするコトの楽しさや楽しみ

インタビュー写真5

心からロックや音楽が好きという事がヒシヒシと伝わって来る。
それは、無作為にレコードを手にとったとしても、
背景やそのときの情景を語れるほど。
その中で楽しみや楽しさをどのように見出しているのかがとても気になる。

「イベントに来て、楽しんでもらうことは当然ですが、
新しいことや曲などを発見する楽しみや感動みたいなものを提供したいなというのもかなり意識しています。
自分が良いと思った事を常にお客さんに打診しながらやっていますね。
それに対して、お客さんが良い反応をしてくれたりすると、
自信にもなり自分の中で蓄積できて、
さらに幅を広げて奥行きを作っていくという冒険やチャレンジを続けていく事が
作っていく中では楽しみのひとつですね。
そういえば歌謡曲をかけていた時期もありましたね。
藤原ヒロシ君に歌謡曲をかけちゃうんですか?って指摘されたりもしましたよ。
お客さんも喜んでたし良いと思って続けてましたけどね。苦笑。」

BILLY’Sでこのシューズを選ばれたのはなぜですか?

「色々なブランドさんの靴を持っていますが、VANSは一番親しみが湧くんですよ。
特にこのSK8-HIは形がとてもチャーミングで好きです。
このサイドストライプも良いですよね。
ソールを巻いてる黒いラインも見た目が締まって見えていいですね。
海外のバンドの人達もよく履いてますよね、
NOFXとか履いてるのがとてもカッコよかったですね。
日本のバンドの仲間とかもよく履いてますしね。
他だとVANSのスリッポンは多く持っています。
紐がある靴だとこのハイカットのSK8-HIがどんなパンツのスタイルにもハマるので、
重宝します、夏場は逆にショーツにこの靴を履くスタイルも好きですね。
もう20-30年ずっと履いてますね、VANSは。
今でこそ買えるところも増えましたけど、当時は少なかったんですよ。
日本ではもちろん探しましたけど、アメリカ行ったときにもよく探しました。
種類が多いのもいいですね。」

インタビュー写真6
インタビュー写真7

Photo : Yozo Yoshino

    • Twitter
    • Facebook
    • Instagram